なななのことば

”あなた”に届けたいことば

不安を不安のまま抱える力も必要

「今は

不安な気持ちを抱えている状態のまま

あり続けることが必要な時期なんだ」

ということもあります。

 

誰かに何かを言ってもらったからって、 

知識を教えてもらったからって、

なんでこんなことで悩まなきゃいけないの?って憤ったって、

焦ったって、

答えを求めたって、

今分からないものは分からない。

今考えても答えが出ないことだと気付いたら

今はこの不安と一緒に居続けるときなんだ、と

力を抜いて、ため息を吐いてみてください(笑)

 

情報として、なんでもすぐに答えが出せるようになった現代では

待つこと

抱えること

自分で考えて判断すること

といった要素がどうしても少なくなってしまっています。

これらの要素ががっつり必要になるのが

まさに「子育て」です。

 

心配事があったとき

先の見通しを知りたいですよね。

"どうすればどうなって、どれくらいまでにはどうなるのか"みたいなことです。

でも、 ○年後どうなったか?は

○年後になってみないと分からない。

 

不安があるとき

答えが出るまでの期間をどう過ごすかは

自分で決められます!

来る"○年後"までの時間、あなたはどう過ごしますか?

 

ななな

「やってみたい」には比較対象がない

親が向き合ってくれるから、とか

誰かが喜んでくれるから、とか

先生がすごいと言ってくれるから、とか

そういう他人からの評価があるからではなく、

 

下手くそだろうと

周りに友達がいなかろうと

すぐに結果に結びつかなくても

自分が本当にやりたいと思っていることをやっているときって

すごく輝いてるんだなー。

 

上達しても

上手なこと(他との比較で生まれる差の部分)を誇ると

上がでてきたときには自分が下になってしまうんだけど

やりたいと思う気持ちには比較対象がないから

潰されないのかな!

 

”何かやらせた方がいいんでしょうか?”という問いも受けますが

きっかけはなんでもいいけれど

本人がやりたいと思えるかどうかが結果には重要かもしれません。

最初は”やらせる”でもいいと思う!

でも、やらされているうちは

評価はあくまでも「他人からの目」にあって、

結果に対しても他のせいにしてしまいます。

やらされているからやっていきたいに変わっていくと

(自分の心の主導権は、自分が握ると)、

心の状態としてはマリオのスター状態かと。笑

 

全部自分で決められて、

全部自分で結果は手に入れられることに気が付くこと。

周りはそれをサポートできるように

心の声を感じ取ってあげること。

 

我が子だと

逆に見えづらいときもあります。

周りの方が我が子のやりたいことに気付いてくれるときもある。

保護者もオープンマインドで

みんなでみんなの素敵な部分に気付き合えるといいですね!

 

 

ななな

 

 

 

 

見えてる世界ってここまで違うものか

Aという場面をどのように捉えているか

どのように感じて

どのようなストーリーとして認識しているか

数人から話を聴く機会がありました。

 

愕然とするくらい

言うことがまるで違う。

 

誰の見方も間違っていなくて

誰の言うことも「一理ある」。

 

ただ

その集団のなかで

今一番優先して考えないといけないことや

今の"最適解"はあると思っていて。

 

いつだって誰も間違ってないし

いつだってみんなにとってすべての要望が満たされる答えは用意できない。

みんながちょっとずつ

「もっとこうなった方がいいのに」を抱えながらも

みんなにとっての最適解を出し続けていけるといいなぁ。

 

 

出るとこ出るのも

引くとこ引くのも

エネルギーがいるんですよね。

だから、貴重なエネルギーも使いよう。

使うべきところに使うために

いらない"出るとこ"も

いらない"引きすぎ"も

とょっとだけ脇に置いておいて

みんなにとっての"まぁこれならいいよ"を

諦めずに積み重ねていけたらなぁと思いました。

 

さぁ私も

「最適解を見つけてみようよ」って

言ってみようと思います。

秋だから?鳥の声がすごい

我が家はまぁまぁ山の中にありまして

野生動物たちとの共生をしているんですが

最近、いつにも増して、

鳥たちの声がよく聞こえてきます。

 

一羽ですぐ目の前の電線にとまって

ぴーちくぴーぴーと言ってるときは

なんかこっちに話しかけてきてるんじゃねーかと思いますし

何羽かで言い合ってるときは

おしゃべりしまくってるみたいに聞こえます。

あの声を人間版に翻訳したら

なんて言い合ってんだろうなぁ…笑

 

気候がよくて

風も気持ちいいから

人間だけが心地いいわけじゃなくて

そりゃ鳥たちだって心地いいんだよねぇ!

 

そよそよ優しい風

包容力のあるあたたかな陽射し

ちょっとずつ色付いた木々

最高~

"透明度の高い気持ち"が持つ力

先日、我が子のこども園で運動会がありました。

これ以上ないくらいの天気に恵まれ、

我が子の成長もみられ、とてもあたたかい気持ちになりました。

 

たまたま全体を見ることができる場所をgetでき、

通しで色んな場面を目にしました。

 

我が子はもちろんですが、

もうどの子も大一番で頑張ってるから

みんな愛おしくて仕方ない!笑

 

いざ本番!となったら体が固くなって普段の力を発揮できなかったり

リレーでコーナー回るときにこけちゃって悔しかったり

絶対負けん!やってやろう!と気合い入ってる凛々しい顔が見られたり

競争興味ないけど、ダンスなどの表現に気合い入ってる子もいたり

ほんとにお子さんそれぞれ!

価値基準がみんな違って

いい意味で画一されてなくて

私も安心感のある場でした。

 

何より

どの子の気持ちも透明度がとても高い。

だから勝負!となってぶつかり合って

その場で勝ち負けがついてしまっても

それぞれが汚れることがない感じ。

その場でどんな結果であっても

とても美しくて輝いている感じ。

眩しくて眩しくて

気付いたら涙が出ちゃう。

 

子どもたちに知っていてほしいです。

あなたたちの透明度の高いこの気持ちは

こんなにたくさんの人たちの心に

どれだけ大きな力を与えられるか、ってことを。

そして、これだけたくさんの人があなたたちのことを心から応援していることを。

だから、今日も明日もこれからも

自分のことを信じて

我が子や我が子のお友達、

名前は分からないけど同じ園の園児さん、

地域で会うお子さん

みんなみんな

自分を信じて生き抜いていけるよう応援していきたいです。

 

 

ななな

自分で自分を縛っていた話

お恥ずかしながら

私はとても感情的に素直な人間です。

幼いと思う人もいるかもしれません。

(これも、少し前に書いた、感じることくらい自由にさせてあげてほしい旨の記事からすると、感情的にはとても自由に生きておりますので、恥ずかしがる必要はないのかもしれませんが)

 

日々起こる、バタバタ子育て生活の中でのトラブルに対し、

おーい、マジでやめてくれや!と叫んだり

納得いかないことには怒ったり

おもしろいことには「がははは!」と笑い

自分の子ではなくても頑張ってる姿を見ると涙腺が崩壊しがちで

要するに、ただの人間をやっています。

 

言われたことを覚えておけなくて「なんつった?」って聞き返したりもするし

音符が読めないからメロディーを聴いてじゃないとピアノが弾けなかったりもします。

(幼稚園から中3まで習っていたのに、全然音符が読めません…)

 

 

専門職だからって、

できた人間であるわけではありません。

 

今でも、自分が決してできた人間ではないことを隠したくて

ちゃんとした人間ですっていうふりをしたくなります。

背伸びをして、固くなっています。

 

ちゃんとした人間じゃないとやっちゃいけないと思っていました。

だけど、産休・育休で職にはついていないときでも

専門資格の保有者ではありました。

逆転が起きて、プライベートonlyで生きているときでも、

私は専門資格の保有者であってよかったんです。

(倫理規定に違反するようなことはもちろんしていませんが!)

 

自分で勝手にガチガチに

「こうあるべき」という像作り上げていて

勝手にその像に縛られてしまっていました。

プライベートが生きづらくて仕方ありませんでした。

 

少しずつ、

自分と自分が描く職業像が変化してきて

境界線が柔らかくなってきたからか

「隠したい」とか「ばれたくない」とか

「ちゃんとした人って思われないといけない」とか思わなくなりました。

 

縛り付けって息苦しいですね…

 

今になって気が付く

自己の振り返りエピソードでした。

 

 

ななな

 

足し算よりも引き算のほうが難しい

支援というものが拡充されていくなかで

情報が爆速で簡単に誰でも手に入る時代も相まって

障がいに関する知識や手法に関する情報を

本当に誰でも知ることができるようになりました。

 

上を見ればキリがなくて

やった方がいいことなんてたくさんあって

やらせない方がいいことについてもたくさん言われるようになって

目指す状態について正解を求めるようになっていて。

これ、どんどん足しまくっちゃってるよな~ということに

気が付いたときがありました。

「やらせない方がいい」っていうのも、”引いているようで足してる”っていうのにも

気がついて。

 

 

一方で、多様性を認めよう、インクルーシブでいこう、という流れがあります。

どんどん足しまくっちゃって、みんなが助かってるならいいんだけど

逆に正解がないものに正解を求めるようになっているもんだから

個性や多様性とは逆行した感じになってないかな?と感じたりもします。

 

やった方がいいとか、やらせない方がいいとかじゃなく、

たくさんの道を選択できるように、決め切らないために、

捨てていっていい捉われっていうのか、

気にしなくていいことを気にしなくすることの方が難しいな、と。

 

 

頭で考えることとか、知識とかは、もう飽和状態じゃないかな?

私は個人的にはいっぱいいっぱいなんですけど…

ちょっと思考を停止させたい感じです。

 

何を気にしないでいいかを自分の基準で決めていったら、

何を大切にしたいのかにつながっていくから。

専門家に聞いても、それって分からないことだしさ。

自分にしか決められないところは、しっかり自分に聞いてほしい。

 

今日のこのテーマは、なんかまだしっかり言葉にするのが難しいんです…

(なら書くなっていうツッコミも甘んじて受けます…)

知識を知るよりも感情と向き合う方が難しい、みたいなことなのかな。

誰かに良い/悪いの判断を預けないでほしいって言いたい気もする。

そんな、”固まりかけのゼリー”みたいな途中経過でした。

 

後味悪くてすみません!

 

 

ななな